2016年 09月 02日
パラリンピックいよいよ来週開幕!!知人以上ガールフレンドw。
昨日は積極的に動いたせいもあり、早々と8時に寝てしまいましたw
今朝は1時半に起きてしまいましたw
さて、いよいよパラリンピックが開幕します。
私の38歳の誕生日が9月7日に迎えるので
今年の誕生日は富良野で迎えることになりそうだ。
パラリンピックの面白さは、やはりハンデをハンデと思わせない
力強さと人一倍の努力家であることだと私は思います。
例えば、ドイツのマルクスレームス選手は男から見ても
イケメンだと思う。
ブラインドサッカーも凄いと思う。目が見えないのにサッカーをする。心でサッカーをしているのだろうか?それとも耳や感覚でプレーしているのだろうか?とにかく凄い。
ただそれよりも私は注目したい人がいる。
私的にオリンピックより親近感がわくパラリンピック!!
体のハンデ!もなんのその!!果敢に挑むその姿は、精神的にも肉体的にも
強烈なインパクトを持っている。
人の心を動かしたり、影響力のある人とは、
何も金持ちや事業家や資本家などの成功者だけではない。
ハンデを抱えているのに克服して感動や生きる気力や元気を与えてくれる。
私自身もその一人である。
私が交通事故に遭って首を痛め、日本一の修理者から転落し、レジェンドはどこいった?とか、神はどこ?神隠れ?なんて冷やかされたものである。
いつ治るのか?わからない先の見えない途方に暮れていた時、一人の女性が私の心を突き動かした。
あの子が、まさか今度のリオパラリンピックに出るとは想像もしていなかった。
その名は、森下友紀ちゃん「もりしー!」である!!
実は一緒に泳いだことが何度もある人である。ガールフレンド♪なんて言ったら怒られちゃいますねw
変な意味じゃないですからね!誤解があると困るので人として
魅力があります。
旧キッツスポーツクラブ北松戸店→現ダンロップスポーツクラブ北松戸店にて私は交通事故後に運動療法で通っていた。水中歩行や水泳をやっている時に、彼女と一緒に泳いだ人である。
彼女は左ひじから下が無い。先天性によるものらしいけど、左腕が無くても器用に泳いでいる。
水中歩行していた時に二本先のレーンから飛んでくる
ダイナミックなバタフライのしぶき!!が顔面に勢いよくぴちぴちと当たった。
それが最初の出会いだった。
1.一緒に泳いで水中でみると解りますが人魚か?と思うほど綺麗なフォーム
2.力強くも柔らかい腰使いと足の水さばき!
3.ハンデと思わせないスピード!!
彼女の水泳を見て、私は感動し、交通事故で首が曲がったくらいで手が痺れたくらいで諦めてたまるか!と目覚めたのである。彼女はプライベートで泳いでいたのである。
交通事故から絶対に復帰してやる!!と強いパワーを頂いた。→その結果、復帰できない怒り+彼女の泳ぎでモチベーションが上がり片足でレッグプレスが200kg上がる化け物と呼ばれてしまうほど成長したw
彼女の持ち味は、ズバリ!!
全力で突っ込むところ!勢いを大事にしている。
ん?どこかで聞いた言葉だなw
そう・・・私も勢いを大事にしている。そして全力で突っ込む!!
持ち味が同じタイプの人間である。
ど素人の人間でかつ畑違いの仕事をしていた者が
住んでもいなかった開拓地で移住・定住を目指し、
地域おこし協力隊になることと農業従事に挑むことに対して
大事にしているのは、全力で突っ込むことと、勢いである。
ちょっとした彼女の公式プロフィールは
1996/9/28生まれ千葉県松戸市ニックネームゆきち、もりしーだそうです。
若いのに凄いエネルギーを持っている。私も見習わなきゃいけないスーパースターであり
私のメンターの一人である。
もりしーがパラリンピックで頑張るんだから、俺も怪我ごとき、シベリア捕虜兵でブラック農場体験で悩んでいる場合じゃないなw
と思った。
6年もの大病を経て完全復帰した北海道は札幌の大黒摩季さんの「熱くなれ」「ら・ら・ら」を懐かしくも聞きながら、農業に対して「熱くなれ」!
のんびりと田舎暮らしで「ら・ら・ら」!
団塊jr世代の奇跡の夢と復帰である。
私は、今日も病院へ行って治療しないとなぁ・・・帰るにも帰られない状況は、いつまで続くのだろうか?数週間?1ヶ月後?2ヶ月後?不安は募るが
ここは受け入れて、いい思い出作りと、今できる体験や実習、学習は欠かせない。
らららの歌詞にもあるように
「♪何かやらなきゃ、誰にも会えない」ってまさにその通りだと
思いながらもブログ記事を書いていますw
昨日は病院の治療の後に山部の支所へ行き、富良野市は山部地区担当の地域おこし協力隊
中山さんと会って1時間半程度話をした。
午後は担い手センター育成寮の駐車場の整備として水たまりができたところに砂利を拾い集めて埋めたり、私をこの地に導いた担い手センターの糸山さん、寮の管理人の吉田農園の吉田さんの二人で植木屋さんをやっていたので、伐採した木のゴミ拾いをボランティアで手伝った。この2件に関しては別途、機会があればブログ記事にしたいと思います。手の痺れや痛みも多少は体を動かしてリハビリしていかないと衰えるだけとわかっている私は、多少の無理をしてもやるべきだと思っています。
ベストドクターの2つ目の明言をここに紹介します。
「痛いから動きたがらない→動かないから筋肉や骨格が衰える→衰えるから更に負担がかかって別のところまで痛くなる」これは本当だと思います。もちろん急性期の腫れが酷い時は、安静にしているのが一番です。怪我してから1週間が経過し、その安静療養する時期は過ぎたと思っているので、兵隊実習は務まらないが、ちょっとしたお手伝いや取材、なんちゃって地域おこし協力隊としての活動はできるわけである。
せっかく、千葉から大洗まで行き、フェリーに乗ってやってきたわけだから、フェリー代やガソリン、高速、諸経費を含めて片道5万円もかかっているし、農場体験時に使う服や帽子、長靴や足袋、レインスーツ、前かけなど購入して25000円使っているわけだから、1カ月程度で使わなくなるのも勿体ない話である。
私は、この地で稼ぎに来たわけではない。農業体験やその地の歴史、現在、未来を見通すために来ているわけで、まだ時間があるので、しっかりと経験と学んで帰るつもりである。
つまり手ぶらで帰るわけにはいかないのである。もちろん手の痺れが取れればフェリーの予約を取り、車に乗って帰るつもりだが、治るまでは自発的な活動は怠らない。今自分にやれること。今日やれることは今日やるべきなのだ。それが後悔のない人生を送ることができると信じています。
何かやらなきゃ誰にも会えないからね!不安と不平を言うよりも
進んで明りをつけてやろう。そう考えている今日この頃でした。
頑張れというと頑張っている人にこれ以上何を頑張れと思ってしまうので
リオパラリンピックで「熱くなれ!ニッポン!」